2005年05月30日

変な夢三本立て

 昨晩は六時間ほど普通に寝ただけなのだが、明晰夢でもなく、うたた寝時に見るような夢でもないのに変な夢を三つ見た。とりあえず概略を記しておく。

 その1:『銀英伝』のあとがきと思われるテキスト
 『銀英伝』を読んだことがないにもかかわらず、新書のあとがきのような感じのテキストを読んでいる(読んでいる姿を眺めているのではなく、主観で読んでいる)夢。内容からしてあとがきというよりは解説なのだろうか。筆者の描写の特徴(「もともと画家志望であったから、まず船全体の構造を明確かつ簡潔に描き出し…」云々。実際の著者がそうなのかは知らない)やキャラクターの描写(「重厚かつ冗長な表現を多用することで堅苦しい雰囲気を作り出し、流行の軽いSFとは一線を画すが、外伝を読めば著者本来の短文家としての軽やかさを満喫することも出来る…」云々)などが書いてある。

 その2:岩明均風の絵柄のオカルト漫画
 『寄生獣』の岩明均風の絵柄で、突然性欲を持て余し始める牛飼いの話が読めた。ちんこといっしょに性欲も増大した牛飼いの姿がシュールすぎる。フタナリエロCGによくある馬鹿でかいちんこがポルノ的な記号化を経ないで男性に装着されるとどうなるかが良く分かった。
 男は性欲を最初は自慰で、続いて牛との獣姦で解消し始める。中盤のモノローグで「調べてみたら全ての牛が妊娠し、中には10数回に及ぶ出産の傷を持っているものもいた」とか言ってたので体力の続く限り(というか体力全てが性欲に転化したらしい)獣姦を続け、最後には牛がもうだめぽといいながら倒れるシーンに。
 物語の構造としては、男が恋人(人間)に以上の話を語っているらしい。場面が変わる。小さな丘の斜面に座って話している二人の背後で、突然肥溜めが爆発し、二人は糞尿の飛沫を浴びて真っ黒になる…というところで終了。コマの端々に正体不明の小さな黒い影がちらついていて、オカルト的な陰謀の臭いがする話だった。

 その3:『必殺仕事人』を見ている水戸黄門
 大井川を歩いて遡っていた御老公一行。突然の増水に巻き込まれてハチベエと格さん(助さんかも…)が溺れて意識不明に。そこに登場する地元藩士、一行を助けて自分たちが寝泊りする小屋へ連れて行く。どうやら川周辺にタバコを植えて栽培しようと試みているらしい。藩士の小屋の戸を開けると、真っ暗な室内に14型テレビに映る『必殺仕事人』が見える…何だよこれ、と藩士の一人を問い詰める自分。いつの間にか第三者視点から当事者視点に変わっている。
 どうしてこんな時代の交錯が起きているのかという設定は、どうやら一旦死んだハチベエと格さんの魂が天使か何かに連れられて天国へ行く途中、現代で死んだ女性と出会い、彼女のつれていた猫の魂と交換されたはいいが、その途端に「やっぱ死ぬのなしね」という通達が届き、時代を誤って元に戻されたから…らしい。見ていて自分も良く分からなかった(-_-)


 夢というのは大抵自分の記憶の中に元ネタがある。今回もディティールや題材は自分の知っているものが大半だったわけだが(ちなみに水戸黄門で死んだ女性は釈由美子だった…『スカイハイ』ですかね)しかし何故こんな合成と出現の仕方をしたのやら。
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2005年05月25日

電波受信強化週間

 夜勤にもそれなりに慣れ、立ちっぱなしの足腰の痛みも大分軽くなってきたのだが、作業量自体はさほど多いわけでもなく(型抜のみの機械についてるとなおさら)時間を持て余し気味なのは否めない。畢竟ぼんやり機械を眺めるか、ぼんやり電波を受信するかの二択になるのだが、機械はこれまでにも散々見てきているので、大抵は電波を受信することにしている。
 週の頭から何事も練習だと思ってやってみているわけだが、昼夜逆転という状況も影響しているのか面白いことに今までに比べて格段に電波の入りがよい。会話対象によって伝達の手段がことなり、イメージ中心で伝わってくる場合もあれば、かなり明確に言語化されて伝わってくる(というか、自分の思考の内側に浮かび上がってくる)場合もある。
 ただ、懐疑的な見方からするとこの電波の受信が仮想的な他者との自作自演による会話の演出ではないか、という問題もある。結局のところ会話の内容が自分が知っていることに限定され、その中でしか話題や応答が回らないのに、あたかも外部に存在する他者と会話し、他者から情報を得ているような錯覚に陥っているのではないかという疑問だ。自分の予想を仮想の他者によって擬似的に肯定してもらうことで、自身の思考を絶対化してしまうということだ。自分はストーカーになったことはないので確定はできないが、その手の思い込み型の社会不適応者の思考がそうなっているのではないかと思ったりする。
 霊獣が自己の内部の存在か、それとも外部の存在かという問題になってくるわけだが、これは体外離脱が自己の内部の現象か、それとも外部の現象かという問題と同様、判別しにくいものになる。穿った見方をすると、現実に存在する他者の行為(「現実」をどのように定義付けるかという問題はあるが…)であっても、その行為を認識するということは自己の外部を認識するのではなく、内部を認識することになる。人間は自己の外の世界をそのままに認識することは出来ず、自己の内部で感覚器からの刺激と脳内の回路による媒介が必要になるからだ。だから自分に理解できない現象は外部に存在していても理解できなかったり、或いは視線が向かずに認識できなかったりする。
 一方で問題になるのは、例えばmizuが何かを言った、という状況は個々人によってその解釈は異なるけれども、一般的な知覚を持っている人であれば(日本語が分からなくても)何らかの解釈が可能なのに対し、霊獣が何かを言ったという状況は大抵の人には何も解釈できないということだ。真面目な顔をしてそういうことを言うと確実に変人扱いである(同期が読んでる場でこういうことを言っても多分既に変人扱いだが)。逆に何か言ってるのが分かる側からすると、これは単に耳がいいとか目がいいとか、人と違う部分を見ているとかそういう認識の枠組みの話になるわけで、ある種の「個性」ということになる。ただしこの「個性」は社会の中の共通認識の枠組みから外れたところにあるので、必ずしも肯定的な評価を得られるとは限らない。

 まぁ夜勤中にぼーっとしてるように見えるときは大抵こんなことをしてますよ、と。

 受信していて面白いなと思ったことは自己の霊的内部イメージに関してである。就職前と就職後の変遷を見ると、就職前が中性的な髪の長い優男だったのに対し、現在は1)口髭を蓄え、黒と銀に分かれた髪の毛のオジ様、2)細身・長身で長い黒髪の女性、3)黒髪のロリショタ、に分離している。多分これは現在の社会人(=彼女と結婚できる自立した男性)として成長しよう、という意識的な方向付けから生じたオジ様と、それとは真逆の(先日も記事にしたわけだが)全ての責任から解放された状態で愛情を注がれるロリショタ化という願望、加えてそれらの中間、媒介者であるとともにある種の自己身体の理想としてのクールビューティー風の女性の分裂であるように思える。
 電波の受信が仮に自己の内部で完結する行為だったとしても、ある種の瞑想や内観であるとして考えてみるとこれは案外バカにしたものではない。自己の中にも意識と無意識という区分が存在し、意図的に認識できるのは意識の領域だけだとするなら、電波の受信や霊獣という存在は普段は見えない無意識の領域を覗くためのソフトやプロトコルであるかもしれない。
 まぁこれにしても意識の領域で構築した自己イメージや欲望にそって霊的イメージが構築されているという考えも出来るわけで、これらを上手く使うにはバランスに気を使わなければならないことに変わりはなさそうだ。自己の内部に耳を傾けすぎても、外部に耳を傾けすぎても何かしらの問題は生じてくる。傾きすぎないように気をつけなければならない。

 参考文献:養老孟司『バカの壁』、新潮新書、2003。
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2005年05月16日

離脱記録

 既に以前の記事で述べているように、今のところ自分が体験している体外離脱が本当に体外離脱なのか、それとも明晰夢なのかは判断が付かない状況である。そもそもこの二つの現象に明確な境界があるのかどうかも分からないのだが、先週の土曜に久々に離脱したのでメモ書きのつもりで記録しておく。

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 今回の場面も再び実家である。金縛り状態になり、今回は右肩から頭、左肩の順で抜け出た。実際に起き上がるのとは少し感覚が違い、部位別に起き上がるといった感じ。目を開き、自室の窓から外を見ると周囲には雪が積もっている。空は晴天、太陽がきらきらと眩しい。
 窓のすぐ外、庭を挟んだ反対側には、今現在は存在していない、小学生−中学生ごろに家の前にあったプレハブ建築の事務所(他所様のものだが)に似た建物があって、その屋根にも30cmぐらい雪が積もっている。実際よりも少し低い建物になっていた。
 窓から外に出る。屋根の端につかまってぶら下がり、そのまま庭へ降りる/落ちる。手が雪に触れていたはずだが、冷たいという感触はない。全体に五感の感度が鈍い。重力の感覚が希薄になるのは前からだが、今回は視覚も彩度が低く、雪景色であるということを差し引いても風景はモノクロームに近い。
 家に沿って庭を歩き、北西にある倉庫の前を通って裏手にあるこれまた他所様の工場の駐車場へ。実家の敷地とは簡単なフェンスで仕切られているのだが、これは乗り越える。ちなみに現在は数年前に作られた我が家の倉庫がこの空間を塞いでおり、ストレートに通り抜けることはできない。
 駐車場に入り、さて何をするかと思案したが、とりあえず物体の生成に挑戦してみる。漠然とした『武器』をイメージしてみると、斬馬刀のようなフォルムをした手持ち武器が出てきた。最初は2mからの長さがあったのだが、「これはちょっと長いな」と思ったところ素直に縮んで1.5mほどの長さになった。軽く振り回してみると、刀身に比して細い感じを受ける柄がフレキシブルにしなる。ただし弾力があって反発するという感じではない。
 今度は的を作ってみようと思ったが、ポリンどころか案山子も出てこない。姐に聞いたところ、どうやら安全装置が働いているらしく、敵意を持った/害を及ぼす存在は作り出せないらしい。

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 このあたりで目が覚めた。

 最近数回の離脱に関しては、霊的なお守りをしてくれている存在の補助がなくなっているらしく、以前に比べると明晰さにかける離脱体験が多い。自力での離脱とその維持をすることによる能力の底上げを狙っているとかなんとか。この前離脱中にその存在の顔を初めて『見る』ことができたと思ったものの、どうやらデコードミスだったようだし(どうりで女顔だと思った)、なかなか成長したという実感は得られない。まぁ、こんな体験が日常になりつつあるのはある意味では相当な成長なのかもしれないが。
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2005年04月29日

再び体外離脱

 GW初日ということで実家でのんびり寝坊する。二度寝した後で久々に金縛り・体外離脱を起こしたわけだが、今日のこれは明晰夢だった気がする。
 というのも、今回は離脱中に(今日の場所は実家の中だったが)妹の部屋に入っていったが本人は留守、あらまぁつまらないと思って一旦目を閉じ、「戻ってきなさい」と念じて目を開くと妹が部屋にいる…という状況になった。実はこういう「自分が念じたとおりの状況が起こる」という経験は初めてである。今まではある程度希望に沿った状況が起こる(例えば誰でもいいから人に会いたいと思って外に出ると、見知らぬ男性が二人部屋の外にいる、など)ことはあったが、特定の状況を意図的に引き起こす(今回で言えば妹という特定個人を部屋に呼び出すということだが)ことはなかった。
 この違いは結構大きいのではないか。もし体外離脱が霊的体験であり、自分と外部との接触体験であるならば、「〜へ行きたい」という欲求を実行することはあっても、そこに誰かがいるかどうかまでは自身の意識によっては支配できないはずだ。この場合妹が不在であれば不在のままである。というのもこの場合の『妹』は自分自身とは無関係な存在主体であるからだ。
 だが今回は不在であった妹を自分の意思で呼び出す(あるいは、妹と認識されるイメージを構築する)ということが起きた。この場合はこの『妹』は自分自身と無関係な存在主体であるというよりは、自分自身の内面に起因するイメージに類するものだと思われる。となれば今回の体験は体外離脱による霊的世界との接触というよりも、明晰夢に属する自己の内面との接触であろう。

 まぁもともとあまり自己との距離を離れた体験をしていたわけではないようだし、明晰夢を見るということ自体はあまり問題ではない。問題なのは自分が明晰夢と体外離脱を明確に区別できないことだ。こうなると所謂疑心暗鬼の状態になって、体外離脱の体験も明晰夢であると認識してしまうことと、それによって体外離脱の技能・能力の成長が止まってしまう恐れがある。自分は霊的体験というのは多分に主観的な体験であって、よほどアンテナの感度がよくて強制的にデータの送受信が行われる人でなければ、思い込みの力でアンテナの開閉が起こってしまうものだと思っている。
 そして恐らく自分の感度は悪い方だと思う。ブースターを取り付け、精密な角度調整をしなければ電波を受信できないアンテナという感じだ。今回の体験は多分角度をずらす作用がある。角度がずれてることを認識できる程度に敏感にならないと、マイナス要素しか生じないのではないか。
 まぁ明晰夢であっても体験して楽しいことは楽しいので、寝坊に伴うある種の娯楽として考えるのであれば別に困らないのかもしれないが…。
posted by mizu at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 電波なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

昨晩の出来事

 土日の寝すぎのせいか、病み上がりで会社に行ったせいか、ベッドに入ってもなかなか寝付けない。直前にBlogの記事を書いて思考の回路がアクティブだったからかも知れないのだが、悶々としているうちに次第に腹が減ってきた。以前なら空腹感が消えるまで我慢して寝てしまうところなのだが、今ホテルの部屋に研修の景品のカップめんがストックされているということと、空腹感が消えるまで眠れないのは辛すぎると判断したので、起き出してポットに水を入れ、沸くまでまたベッドに転がる。深呼吸して目を閉じると、何かよく分からないモノのイメージが眼前に浮かんできた。

 この時点で結構眠かったし、それが実際には自分の空想の産物や、上でも述べたような思考の不随意運動の産物だった可能性は否定しないと最初に断っておこう。

 最初は『もののけ姫』の祟り神化したオッコトヌシを正面から油絵調で描いたようなモノ。続いて肉色の土台に埋もれた鉛色の螺子のような突起。ソレがにゅーんと伸びてきて自分の額に吸い付く。割とフレキシブルな素材らしい。あー情報の転送ケーブルかな、それとも何か吸われてるのかと待っていたら(その間の待ちうけアニメは『Nocturne Maniax』のアマラ深界で覗き穴を覗き込んだ時のデモ)、転送が終わったらしく触手が離れて縮み、土台に埋もれた側から裏返って何かが出てきた。
 全体像としては直立してやや擬人化された蛇の骨格標本、全体が薄くてややピンクがかった黄土色のプレートで肉付けされている。とはいえ実際に肉付けした蛇ほど中身が詰まっていたり、隙間がなかったりはしないのだが。サイズは30cm弱か。どういうデザインなのかは分からないが黒の燕尾服を着ている。足はないので服の後ろは尻尾(のようなプレートで構成された部位)に一体化していっている。なかなかコミカルな姿だ。
 さてコイツはいったい何なんだろうかと少し悩んだが、あんまり「嫌なモノ」であるという印象はなかったので(まぁ自分の印象はまったく当てにならないのだが)しばらくいつきたいのなら好きにしなさい的態度をとって寝ることにした。ただ、なんとなくの直感で病神か何かかも知れないなぁとは思った。周囲で風邪が流行しているし。ただメガテンのチャートでいうと確実にDARK系だという確信はあった。

 寝る前に姐にメールで調査を依頼しておいたら、某所の過激派だったとかいう返事がきた。そんなに激しい奴にも見えなかったのだが。どちらかというと可愛い感じ。ああ、過激なのはやり方とか思想で見た目ではないか…

 さてはて、暁覚えぬ春は早過ぎて、いつまで夢が現となりますやら。
posted by mizu at 23:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 電波なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月11日

体外離脱

 先日ASがついに体外離脱を体験したらしい。感想を聞いてみると自分の経験といろいろ似通っていて面白い。このサイトが教科書だったのだが、自分たちの体験がここで解釈されているような肉体と霊魂の二分法に基づいた、肉体からの霊魂の分離・いわゆる幽体離脱なのかどうかについては少々疑問がある。そこで今回は自分たちが経験した幽体離脱という現象がどういうものなのかについてテキトーに分析してみたい。

〜〜〜〜
 もし霊体が肉体から分離するのであれば、その霊体がどこか違う『層』に属しているとしても、外部や第三者から観測可能なのではないだろうか。身近にそういった観測が出来る能力を持った人はいないのでなんともいえないのだが、多少種類は違うにせよ物理的な存在以外を感知できる姐が横で体外離脱を起こしていた自分の霊体に関しては感知しなかったということを考えると、体外離脱中の『霊体』は他者から観測できないのではと思えてくる。
 一方でもし霊体が分離しているのであれば、その霊体が第三者に対して影響を与えうるということだろう。これに関しては自分の経験の中では明確に他者に対して影響を与えようと考えたことがない&離脱中に遭遇した人に聞き取りをしていないので不明である。ただまぁ、もし影響が与えられるとすると所謂生霊状態になる気がするので、離脱中の他人によって自分が影響を受けるということも考えられる。そうすると出来ないという方が平和でいい気もする。

 では霊体の分離でないとしたらこの現象は何なのだろうか。教科書では幽体離脱と明晰夢を区別しているが、個人的にはこの二つに差はないのではという印象を抱いている。個人的にはある種の意識状態・自己催眠によって随意的に得られる明晰夢が、教科書で幽体離脱と呼ばれているものなのではないかと思う。というのも、自分もASも意識が覚醒している状態からは離脱を起こしておらず、一旦眠りについた後に離脱を経験しているからだ。
 二人とも金縛りにあった後に、肉体的な自分の内側に存在している「意識としての自分」がむくりと起き上がるというプロセスを経験している。この「意識としての自分」が出現する条件は、通常肉体と同一化している自分の身体感覚が、金縛りを引き起こすような寝起き等の状況において身体との繋がりを失い、幻肢症のような実体のない感覚器の擬似信号によって「意識としての自分」を構成するのではないかと思う。
 ではその後に経験する明晰な世界の経験は何なのだろう。自分は基本的にはこれは夢と同じ原理で生じるものではないかと考えている。離脱中の世界と夢との違いは、前者のほうがより映像が明晰であり、その中である程度自分が自由に行動できるということだ。このような違いが生じる原因としては、上で述べた「擬似信号によって構成された感覚器」が存在するかどうかなのではないかと考える。
 普通の夢は要するに意識がある状態である物事を思い出しているのと基本的には変わらない。記憶を引き出して、それを整理しながら「見て」いる状態だ。随意的な状態ではないので夢のストーリーはコントロールできないし、またその映像もさほど鮮明ではない。これに対して離脱状態は脳が擬似的ではあっても感覚器を備えた身体を想定している状況であるため、それに対応して記憶から構成された世界ではあっても、覚醒時に感覚器を通じて感じるような鮮明さを備えているのではないだろうか。
〜〜〜〜

 ここまで書いて辛くなったので終了。自己催眠と意識変容によって意図的に身体感覚を狂わせることで生じる現象っていうのは案外あってそうな気がするんだけどなぁ。ASは「意図的な昏睡を生じさせる遊び」と表現していた。
 誰か類似の経験をしたことがある人がいたら考えを聞かせて欲しい。
posted by mizu at 21:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 電波なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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