2005年05月18日

暇の潰し方

 研修が相変わらず放置なので、時間の半分ほど機械観察をした後は簿記の勉強をすることにした。以前苦戦した記憶のある振替伝票や修正仕訳なども内容はそれなりに覚えているのだが、逆にいえば結構忘れているわけで、7割が合否ラインというのは結構シビアだと感じる。時間的に余裕のあった前回、詰めの甘さから落ちたのが悔やまれる。

〜〜〜〜
 手持ちの本がなくなりつつあるので、例によって本屋で本棚を眺め、適当に選ぶ。ただ今回はこれだという本がなく、かなり適当な選択になった気がする。購入したのは
 ・養老孟司『バカの壁』、新潮新書、2003
 ・今村仁司『マルクス入門』、ちくま新書、2005
 ・姜尚中『在日 二つの「祖国」への思い』、2005
 読んで面白かったらまたレビューを。内容の分類としては自分の思考能力、学術的基礎知識の獲得(「マルクス主義的」というレッテル貼りが未だに正確に理解できない!)、韓国問題とあまり変わらないのだが、本そのものの毛色は多少違う感じがある。

 今電車の中で読んでいるのは日比野啓・村山敏勝・三浦玲一・吉原ゆかり編著『からだはどこにある? ポップカルチャーにおける身体表象』(彩流社、2004)だが、こちらは短い論文集なのでレビューには向かないか。内容そのものも身体表象について考える際のとっかかりとして様々な分野の切り口を見せるという感じである。

 『からだはどこにある?』の中で提起される問いのひとつが、体は誰のものか、というものだ。肉体を備えた主体は他者との関係のなかで自らの肉体を所有することが出来るのだろうか。彼/女の肉体は常に既に誰かの視線によって、或いは誰かとの関係によって構築され、成立しているものなのではないだろうか。その意味では肉体を備えた主体が自らの肉体を完全な意味で支配することは不可能である。主体が施した肉体の変化が、主体の意図した意味とともに他者に受け取られるとは限らない。
 電車の中で吉原先生の「トランスヴェスタイトの身体」を読んでいて(実は在学中に原稿を読ませていただいたことがあるので読むのは二度目なのだが)不意に以前自分が感じていた、自分の身体に対する違和感と嫌悪感の入り混じった感情がまだどこかに残っているんだなと感じると同時に、それは上で述べたような自らの肉体の不随意性に起因しているのではないかとふと思った。
 違和感や嫌悪感というとすわTGかTSかという疑いが生じてきそうだがそうではなく、自分の場合は自分が男性であるということに違和感を覚えるのではなく、どうして自分の容姿は可愛くないのだろうか、という違和感である。二年ぐらい前だと思うが、自分自身が魅力を感じる容姿(可愛いあるいはカッコいい・例えば鰤たんみたいな)が存在しているのに、自分の容姿がそれら容姿とイコールになりえないという現実が不思議でたまらない時期があった。或いは、それに自分を近づけようと何やかやのささやかな努力をしたとしても(女装もしてみたが明らかに似合わない…というか、それを自分のアイデンティティとして引き受ける覚悟がなかった、というべきか)、それを他人が自分と同様の感覚をもって受け取らないという状況が不思議で仕方がなかった。
 改めて考えてみれば衒学的な理論を振り回さずとも、このような認識の食い違いという状況は他者との関係の中で容易に起こりうるものであり、また自分の理想と現実のギャップは多かれ少なかれ常に発生しているものだ。それらが当然のものであると認識されないということは、すなわち対人関係の経験の少なさを示している。当時の自分は理想と現実のギャップに直面しながら自己像を捉えなおし、それを変えていくというプロセスに不慣れであったのだと思う。今現在、苦手でないという保証もないが。
 ただ、ギャップを認めて自己像を修正したとしても、必ずしも自分が抱いている理想が棄却されるわけではない。諦めるのか、実現を目指して苦闘するのかという違いはあっても、理想像を変更せずに保持し続けることはできる。今回感じた恨みの念とでもいうべき感情は、多分そこから発生しているのだ。

 だからぼくはぶりたんみたいにかわいいおとこのこにうまれたかったのです。

 問題は現実にそうやって生まれてしまうと、不可避的に歳を取っていくことなのだが…。この嘆きはエイジズムを背景にしたものというよりは、子供であること=責任を負わずにいること、可愛い=周囲から好意を向けられる状況であること、という側面からのピーターパンシンドロームだと思う。
 では歳を取るにしたがって社会的責任を引き受けることを要求され、また一人の社会人としての能力を高めていくことも要求されるという状況にありながら、退行的な自己イメージに憧れを抱き続けている状況をどう切り抜けたらいいのだろうか。

3択――ひとつだけ選びなさい
答え1――クールで切れ者のmizuは朝起きると突如鰤たんになっている。
答え2――善意の第三者が全てを肩代わりしてくれる。
答え3――葛藤を解消できない。現実は非情である。

 答えは、また10年後に。
posted by mizu at 21:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。すっかり「カリフォルニアの幸せなばか」のヨシハラです。ネットうろうろしてたら、ここに着きました。回したい情報があるので、メイルください。
Posted by ヨシハラ at 2005年06月19日 18:19
 お久しぶりです。いやー…まさか捕捉されるとは思っても見ませんでしたが…色々と気恥ずかしいところであります。メール差し上げましたのでご確認をお願いします。
Posted by mizu at 2005年06月20日 22:19
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