2011年09月20日

黙秘しようと書いておいてなんだが

■とりあえず嫁は読まないように(韻を踏んでいるわけではありません)。

□先の記事の黙秘しようって部分について。
 最近催眠音声を聞くようになって、まぁ嗜好に沿ってkukuri氏の作品(http://kukukuri.x.fc2.com/)を聞いて俺得だわぁとか思ってた矢先に、Yanh氏の記事(http://blog.livedoor.jp/yanh_japan/archives/4446911.html)を読んで、「あー、TSとかTVってのは仮想的な状況においても一般的な欲求じゃないんだなー」とある意味びっくりしたのが発端でありました。
 元々エロ目的で催眠音声を聞くこと自体においては、Yanh氏の分析は非常に正しいと思うのだけれども、自分としては『女の子』自体に極度のプラスのイメージしかなくて、氏の言うような(「まあ、良く考えてみたら、俺が女体化した姿なんて、想像するだに恐ろしい。どんな醜女だよ。」)マイナスのイメージは(現実的にそうなったら、と理性的に考えたら自分もそうではあるのだけども)欠片も持っていなかったなぁ、と。
 まぁ、ご承知のとおり、女性経験も豊富でないわけでして、自分が抱く女性のイメージってのが多分に二次元寄りであることは間違いない。感覚的な表現で描写すれば、「すべすべ」「ふわふわ」「つるつる」「あったかい」、散文的にすれば、

What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all that's nice,
That's what little girls are made of.
(Mother Goose)

となるわけで(そういや上記の詩を知った『ポーの一族』も思い返せば大分俺得ではあるなぁ)。んで、『女性』に対するイメージがどうであれ、それを「好ましいもの」と捉えるのであれば、ヘテロセクシャル(という意味でYanh氏は「ノンケ」という表現を使っていると思うのだが)であっても、自分が女性になることそのものにそんなに嫌悪感があるものだろうか? という。ただ、好ましい対象と自分自身を同一化して捉える行為そのものは、発達段階としては初期のものだったよーな気はするので、精神の成熟段階からすればちょっとどうよ、という気がしないでもない。

■さて、先の記事の「理想の自分と、周囲が認識する自分の乖離をどう処理するか」という話に戻ると、要は代償行為でまかないきれない部分については、周囲が認識する自分については、「(周囲の期待に応える、という部分で自分の理想を達成した)期待に沿った自分」を演出しておいて、「自分が理想とするけれども、周囲の認識においては評価されない自分」は、「自分だけが認識できる世界に配置する」ことでバランスをとろうとしている、と。で、そのツールが催眠音声ですよ、ということになる。

□ああぁ、明日早いのに何ぐだってるんだ…自律訓練法やってさっさと寝よう。
posted by mizu at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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